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2006〜2007年
記号の話
現代思想の話
   
ここでは、言語学、記号論、構造主義、認知心理学っぽい話を書こうと思います。えい、や〜っとかなり荒っぽくやりますので、えっと、参考程度に読んでいただけると嬉しいです。というわけで、第5回目、いってみましょう!

■Vol.5:意味するものと意味されるもの
ここまで話してきたことをまとめてみるとこんな風になりますよ〜。

まとめ1.ことばは「モノ」そのもの(実体)を表していない。
まとめ2.ことばの意味する範囲(区切り)は適当に決まる。

そしてこれこそが、ことば=記号(のシステム)と呼ぶゆえんであり、ソシュールさんは「一般言語学講義」において、ことばの記号的側面を分析したのです。

ことばが記号(のシステム)だっていうのはわかったけど、じゃあ記号ってなんなのよ?という質問が聞こえてきそうですね。それでは記号がどのように出来上がっているかを見てゆくことにしましょう。

記号というのは、「記号で表したもの」と「記号が示しているもの」の2つが結びついて出来上がっています。これをソシュールさんはシニフィアン(記号表現、意味するもの)とシニフィエ(記号対象、意味されるもの)と呼びました(ちなみに記号はシーニュと呼びます)。

例えば、日本語の「犬」ということばは、日本語のシステム内で適当に区切られた「モノ」である"イヌ"を指し示す記号表現なのでシニフィアンです。そして、日本語を理解する人が「犬」ということばを聞いたときに思い浮かべる "イヌ"の具体的な「映像」や「記憶」、「イメージ」がシニフィエとなります。もし英語だったら「dog」がシニフィアンで、「dog」ということばを聞いた時に思い浮かべるのがシニフィエです。

冒頭でまとめた1のとおり、ことばを使って思考をめぐらす限り「モノ」そのもの(実体)を問題にすることはできません。私達はどんな場合でもシニフィアンということばのフィルターを通してしか「モノ」を認識することができないのです。
そしてまとめ2にあるように、シニフィアンが指し示すシニフィエの範囲は、各言語システム内や、個人がそのことばを見たり聞いたりすることで思い浮かべる「モノ」によって決定するというわけなのです。
「犬」ということばを聞いて思い浮かべるイメージは人それぞれ全く違いますよね?これは「犬」ということばが「イヌ」そのモノを表しているのではなく、日本語のシステムの中で「四足で歩く毛むくじゃらなワン!と吠える動物」の総称としてゆる〜く定義されているだけだからなんです。

他にも面白い例をあげますね。
雨が降った後に出る虹、日本語では7色ですが、英語は6色に減ります。ズーニインディアンが使っている言語では5色ですし、ショナ語では3色で、サンゴ語やバッサ語では2色になっちゃいます。これすごいと思いませんか?色は“アカ”や“アオ”っていう実体があってそれに対して名前がついているわけではないんです。言語が変われば、ある「色」を区切る範囲は変わり、それを表すシニフィアンが指すシニフィエも変化します。今回の虹の例のように、そもそもシニフィアン自体が存在しない場合も多いのです。

ここまで考えてくると、ことば(記号のシステム)はある「モノ」をこれ!と定義するための道具ではないことがわかります。ことばとはむしろある「モノ」を他の「モノ」から区別するため(区切り線をひくため)の道具なんだということがおわかりいただけるでしょう。
言語におけるある「モノ」と「モノ」の差を、ソシュールさんは「差異」と呼んでいます。この差異、シニフィアン、シニフィエ両方ともに言えることなので、ちょっと説明しますね。

例えば、漢字の書き取り練習をしていて、「犬」(他のどんな文字でもかまいませんが)という文字を何度も何度も繰り返し書いていると、「あれ、これであってたっけ?」と妙な不安に襲われた経験ありませんか?これは、「犬」というシニフィアン単独では何も指し示すことができないことを物語っています。「猫」や「豚」や「猿」なんていうシニフィアンとの関係において差異(区別)があるから、「犬」は"イヌ"を指すシニフィアンでいられます。

シニフィエの場合は、子供に"イヌ"を教える時のことを考えてみてください。"イヌ"を教える時に、柴犬やチャウチャウやダックスフンドなどの犬の仲間をいくら見せたところで、子供が他の500種類もの動物の中から"イヌ"を見つけ出す助けにはりません。"ネコ"や"ブタ"や"サル"を見せた上で、これが"イヌ"だよと他の動物との差異(区別)を教えなければならないのです。

実のところ、言語システムの中にはこの差異(区別)しか存在しません。各言語によって「モノ」の区切り方、区別の範囲が違うのは、その言語システムの中で「モノ」がどのくらいの「価値」をもつかによって決まります。例えば、英語ではキョウダイの年齢差や上下を重要視していないため、日本語の"兄"のような1単語を持たないといった具合ですね。だからソシュールさんは、「モノ」と「モノ」の区切り方、つまり関係性を考察すべきなんだ!と結論付けたわけです。(つづく)
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