第3回:フリードリヒ・ニーチェさん
ありもしない真理なんかじゃなく
自分自身を全肯定することが大事なんだぜ
第3回目はですね、待ってましたのニーチェさんであります。ニーチェさんという名前はよく聞くと思いますが、結局のところ何を言いたかった人なのかは、なかなかわかりにくいと思います。正直、僕もいまだによくわかりません。ですので、彼の思想のキーワードを断片的にこんな感じだろうという程度で、つまみ食いしたいと思います、はい。
■形而上学的原理なんてありはしない
では本題に入りましょう。基本的にニーチェさんは、「オレはOOが大嫌いだ〜!」と言い続けた方です。では何が大嫌いだったかというと、プラトンさん以来19世紀後半までのずっと長い間、西洋に住む人々の思想の根本にあった考え方です。それを西洋形而上学と呼びます。形而上学っていうのは、僕らの生きている現実世界は超自然的な真理(プラトンさんのいうイデアだったり、キリスト教の神様だったり)によって構成されていると考えることからスタートする学問ですね。ニーチェさんは、「現実の世界とは別に、真理の世界なんてあるわけないじゃあねえか。この世には真理なんてありはしないんだぜ」と言い、「頭で考えた理想なんかに頼る生き方はやめようぜ!」と叫ぶのでした。かの有名な「神は死んだ!」は、こんな彼の考え方を象徴する言葉なのです。
■徹底的にニヒルになれ!
ちょうど19世紀後半は、科学が進歩して、それまでの精神的な支柱であった「神」の存在が信じられなくなっていた時代でした。今まで信じていた絶対的な真理=神が「無」であると告げられた民衆の間には、「どうしたらいいかわかんないよ〜」という迷い悩んだ重苦しいムードが漂っていたんですね。そんな西洋の精神状況を、ニーチェさんは「ニヒリズム(虚無主義)に陥ってる」と診断します。更には、「そもそもありもしない真理なんかを設定しちゃったのが、今の落ち込みようにつながってるんだ!」と切り捨ててしまうのです。そして、その落ち込みから脱出するには、真理を失ったという喪失感をはっきりと自覚し、「ありもしない真理」を積極的に否定するしかないんだと叫びます(これがニーチェさんの「積極的ニヒリズム」です)。古臭い価値観なんて捨てちゃって、考え方を大きく変えちゃいなよ!という提案ですね。
■ほとんどの場合、人間とは偏見そのものである
ニーチェさんのスタンスに、「われわれはわれわれ自身を理解していない」があります。ある特定の時代だったり、文化だったり、言語だったりに縛られて人間は生きるしかない。だから、その考え方が当たり前(常識)になってしまい、他の時代、文化、言語の人達を非常識であるとジャッジしてしまう。自分の考えていることだけが正しいと信じ込むだけで、どうしてそんな風な考えを持つようになったかは考えないのが現代人なんだと、ニーチェさんは言うのです。そんなわけで、ニーチェさんの19世紀後半以降の全著作のテーマは「いかにして現代人はこんなにもおバカさんになったのか?」になったのでした(笑)。
■人生とは繰り返しである
といった感じで、ありもしない真理を全否定することを徹底したニーチェさんは、自分自身を全面的に肯定することを主張します。「現在の自分自身や、自分の置かれている立場を、自分以外の存在のせいにするんじゃないぜ。辛い過去だろうが、不満だらけの現状だろうが、自分はそのプロセスを経て成り立っているんだから、受け入れて生きなくちゃだめなんだ」と言うんですね。更には、「そんな辛い出来事なんて、生きていれば人生のうちに何度でも繰り返し起こるんだぜ。だから、その度ごとの自分を冷静に、客観的に判断して、現状を肯定しながら成長しつつけなくちゃならないんだ」と続けます。
要するにこういうことだと思います。ありもしない真理だったり、他人の意見だったり、世間の風潮だったりを、大して考えもせずに信じてしまうと、あとで問題が起こった時、自分の責任だと感じなくなってしまうんですよね。そして、不満ばっかり口にするようになる。歓びも悲しみも、優しさも憎しみも、感じているのは自分です。何が起ころうと、その人生を生きているのは自分だけであり、その出来事によって何を感じ、自分をどう変えるかは、自分だけの責任でしかないと、ニーチェさんは言うのでした。
■あとがき
いつも周りの人達を罵倒して、ニヒルの権化みたいな方だと思っていましたが、実はニーチェさん、めちゃめちゃポジティブなんですねえ。ホントに、ついつい今の自分を、他人とか神様とかのせいにしちゃいがちですが、気をつけなきゃいけませんね、うんうん。「畜群」とか呼ばれるの、イヤだもんなあ(笑)。
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